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分野:日本近代史、明治維新史、メディア史、明治期社会経済史、比較文化・文学、日本研究

復刻版『ジャパン・ウィークリー・メイル』第1期:1870-1899
◆第2回配本: 1875−1879 全13巻 + 別冊解説◆
The Japan Weekly Mail
Series I: 1870-1899, Part 2: 1875-1879

◎別冊◎
*解説「初期『ジャパン・メイル』と明治政府」浅岡邦雄(白百合女子大学図書館)*

*記事見出し索引*

2006年9月刊 / B4判 
約7,060頁 + 別冊約90頁 / \298,000 (税込) /
ISBN:4-86166-021-1

■ 監修:横浜開港資料館 ■
■ 発行元:Edition Synapse ■
■ 総発売元:紀伊國屋書店

◇明治期の日本から西洋社会への情報発信に最も重要な役割を担った英字新聞
◇政治、経済、時事情報とともに、日本での西洋人や日本アジア協会の活動、書評など文化記事も充実
◇アストン、サトウ、チェンバレン、フェノロッサ、ラフカディオ・ハーンなど多数のジャパノロジストが寄稿
◇船舶乗客リストは来日外国人や海外渡航日本人の貴重な情報源
◇横浜開港資料館の協力・監修のもと、同館所蔵に加え今回の復刻に海外から提供された号も含め、ほぼ全号のコレクションが初めて公刊
◇配本毎に記事見出し索引を付録

創刊から数年を経たJWM紙は、この頃から明治政府との微妙な関係を保ち(明治政府とJWMについては解説が詳説)、居留地の外国人間の新聞から、英字新聞を通して日本の国情を西洋社会に紹介し、対日理解を深めさせることに重点を置いたメディアへと発展してゆきます。1877年に社主が変わり、New Seriesとして再創刊された後もこの方針は変わらず、各号の頁数は増加、不平等条約をめぐる国際関係から「西南戦争」「琉球処分」など、国内外の政治、経済、社会問題が広く論じられます。日本アジア協会などによる文化活動の発表の場としても紙面が提供され続け、アーネスト・サトウ、チェンバレンらに加え、F. V. ディキンズ、ヘンリー・ダイアー、ウィリアム・アンダーソンら今日も名を残す多くの日本研究者がこの新聞を活躍の舞台とします。後にJWMの社主・編集主幹となり、日本の近代化をメディアの側から支援したF.ブリンクリーが記事の執筆を始めるのもこの時代です。日本の近代化、そして政治・経済から文化にいたるあらゆる側面の情報が満載しており、東西交流や貿易、国際関係史の研究に欠くことのできない一次文献です。

既刊 〜 好評発売中
第1回配本: 1870〜1874 全10巻 + 別冊 
●\248,000 (税込)●2005年12月刊行●約4,850頁 
ISBN: 4-86166-020-3

◇配本予定◇
第3回配本: 1880−1884 全15巻
2007年5月刊予定 ISBN:4-86166-022-X

第4回配本: 1885−1889 全15巻
2007年11月刊予定 ISBN:4-86166-023-8

第5回配本: 1890−1894 全15巻
2008年5月刊予定 ISBN:4-86166-024-6

第6回配本: 1895−1899 全15巻
2008年11月刊予定 ISBN:4-86166-025-4

続刊:JWM第2期 1900−1917                         

●監修にあたって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・横浜開港資料館
幕末の安政6(1859)年、国際貿易港として開港された横浜は、外国と日本を結ぶ情報基地ともなり、ジャーナリズム発祥の地となりました。横浜開港資料館では、昭和56年(1981)の開館以来、横浜で発行された新聞を収集し、保存・公開してきました。『ジャパン・ウィークリー・メイル』もその一つです。
『ジャパン・ウィークリー・メイル』は、W.G.ハウェルとH.N.レイが1870(明治3)年1月22日に創刊しました。ほかに、日刊紙の『ジャパン・デイリー・アドヴァタイザー』、海外向け隔週刊の『ジャパン・オーヴァーランド・メイル』、海外ニュースを主体とする『ジャパン・メイル・エクストラ』も発行しましたが、その中心は週刊版の『ジャパン・ウィークリー・メイル』でした。やがて先行の『ジャパン・へラルド』、『ジャパン・ガゼット』と並ぶ横浜の三大英字紙となります。他の二紙と違って、すべてのナンバーが現存するところにも資料的な価値が見出せます。
同紙は、対日貿易に関するイギリス領事報告を掲載すると共に、日本アジア協会創立以来、そこで発表された論文を掲載し、邦字紙の論説の翻訳紹介も行っています。外国人居留地の情報や、横浜港に出入港する船とその乗客のリストからは、来日した外国人の動向のみならず、海外に渡航した日本人に関する情報も得られます。
おおむね日本に好意的な論調を続け、1873年から1875年まで、日本政府の意を受けて、日本の情勢を紹介するための海外版を欧米各国に配布しています。明治14(1881)年には経営権がF.ブリンクリーの手に渡りますが、その後も親日派の英字新聞として異彩を放ちました。大正6(1917)年に一旦休刊、翌年『ジャパン・タイムズ』に吸収・合併されます。
  『ジャパン・ウィークリー・メイル』の復刻によって、世界と日本の関係、外国人居留地の社会情勢など、さまざまな分野で研究が深まることを期待しています。

●推薦文
日本近代史再叙述のために・・・・・・・・・・・・・・・・京都造形芸術大学学長 芳賀 徹
ロンドンの街を歩いていて「おや」と思うのは、街角に立つ郵便ポストを見たときだ。頭に丸いボンネットをかぶったような赤い丸い胴体で、上部に郵便挿し入れのための平たい口があいている。これはひと昔前まで、日本列島のどこにでも立っていた郵便ポストにそっくりだ。実になつかしい。胴体は日本のよりも一倍半ぐらいは太い。それもイギリスらしくてよい。「おお、お前はまだ本場のイギリスでは頑張っておつとめをしていたのか」と呼びかけたくなる。それほどに、明治日本におけるイギリス文化の影響は、フランスやドイツのそれにも増して、広く大きかった。日本のサンドイッチが、食パンにハムや胡瓜をはさんで、三角に切られていたのも、英国式だったのだろう。
その明治初年から大正半ばまで、約半世紀の日英間の政治・経済・文化の面での相互交渉を、週ごとに、ときには日ごとに、記録するのが、このたび復刻の『ジャパン・ウィークリー・メイル』である。この時期ほど日本社会が急激な変化を経験したことはかつてなかった。それに応じてイギリス側の日本認識も、この新聞ではおおむね好意的だったとはいえ、刻々に変転した。
この復刻版によって、在日英国人の日本像の変遷を克明にたどるのは、日本近代史再叙述のために、まことに意義深く、また楽しかろう。郵便ポストやサンドウィッチのことまで出てくるかどうかは知らないが、私はやがてこの分厚い復刻版に読み耽ることとなるだろう。

質量ともに他紙を圧倒・・・・・・・・・ 横浜市立大学名誉教授・前学長  加藤祐三
新聞を歴史資料として私が初めて使ったのは、拙著『イギリスとアジア』(岩波新書1980年)です。ザ・タイムズ紙などの報道、投書、コラム、広告などがおおいに役立ちました。1983年から始まった横浜開港資料館の横浜居留地研究会でも、新聞・雑誌・年鑑・名簿などが役立つに違いないと直感しました。19世紀中頃に来日した欧米人や中国人がどのように日本に受容されていったか、彼らが新生日本をどう見ていたか、それを世界史のなかで(とくに日中を対比しつつ)位置づけること、このあたりに私の関心がありました。そのための膨大な一次文献を探す過程で、横浜刊行の英字新聞に注目した次第です。いくつかの英字新聞が外国人により発刊されていましたが、今回復刻出版されるJapan Weekly Mailは、政治・経済のみならず、日本の社会・文化に関する報道に高い比重を置く編集方針を取っており、その内容は質量ともに他紙を圧倒しています。日本の近代化や対外関係を社会史・政治史・文化史の各方面から分析する上でも、貴重な材料を提供してくれます。原本を系統的に蔵する図書館が限られている中で、各方面で本紙活用の試みがあると聞きます。今回の復刻により、この貴重な資料が広く共有・活用されることを願ってやみません。

『ジャパン・ウィークリー・メイル』の復刻出版を心から歓迎・・近代日本研究者 廣瀬靖子
『ジャパン・ウィークリー・メイル』の復刻出版を心から歓迎します。明治期の最重要英字新聞として本紙の名はつとに知られてはおりましたが、実を言えば、然程古くから本紙が情報源として活用されていた訳ではありません。戦後、近代日本史研究で新聞雑誌が史料として重視されるようになっても、当然ながら邦字新聞(ここでは海外在留邦人や日系人を対象とする邦字紙ではなく国内のそれ)の整理・利用の方が先行しました。邦字紙誌に比べて外字新聞(大部分英字新聞)の対象は限られており、そうでなくとも国際環境を捨象し日本の政治・経済の推移を追及するのが主流だった学界状況の下では、取り敢えず邦字紙を参照すれば事足りた訳です。殊更めきますが、史料としての外字紙との出会いは、私の場合およそ半世紀前に遡ります。サトウの「英国策論」原文を求めて上野図書館で手や服を黒く汚しながら、本紙の前身『ジャパン・タイムズ』の閲覧に取り組みました。上野図書館所蔵の当紙は一八六五年九月八日(慶応元年七月十九日)の創刊号から翌年六月三十日発行号までに過ぎなく、うち若干欠落しており、サトウ策論原文も全部揃えることはできませんでしたが、同紙閲覧を通して私は在日外国人発行に係る外字新聞の史料的価値に目覚め、以後数年に亘り国内の主な図書館等で外字紙を渉猟しました。関東大震災や第二次世界大戦の戦災で外字紙の多くは失われましたが、そうした中で本紙ジャパン・ウィークリー・メイルが、短命紙は別として最もよく残っているのは、ジャパン・タイムズの後身から出発し変動を経ながら代表的外字紙へ発展を遂げたこの新聞の声価と内実の然らしめる所と言えましょう。ただ、その本紙にしても、私の渉猟当時国内に全号揃いでの所蔵は見当りませんでしたし、更に言えば、大体外字紙はどこでも殆ど利用されず、死蔵に等しいというのが実情でした。近年、歴史研究や問題意識の多様化に伴い外字紙もどんどん利用されるようになり、悦ばしい限りです。それにつけても、横浜開港資料館の広く内外に亘る精力的な資料収集活動には感謝のほかありません。その御蔭で本復刻企画も可能となったのでありまして、ここに改めて同館に対して謝意を表すると共に、本紙を各方面の図書館・研究者は固より、知識欲旺盛な多くの方がたに心を籠めて推薦させていただきます。