内容詳細
推薦文

mokuji2.gif (1400 バイト)

コレクション・ジャパノロジスト シリーズ第1回配本
監修:大正大学教授 芳賀徹
aston.gif (5304 バイト)

Collected Works of W. G. Aston
With an introduction by P. F. Kornicki, Univ. of Cambridge 
  1997年1月刊行 2,980頁
ISBN1-86210-000-4
品切れ

西洋日本学の巨人と呼ばれるWilliam George Aston(1841‐1911)の初めての全集が刊行されました。幕末・維新期に英国外交官として25年にわたり滞日したアストンは、英国における日本学の基礎を築いた研究者として、広く研究の対象となってきました。彼の旺盛な研究は、現在ケンブリッジ大学や大英図書館に所蔵される9,000点以上のアストン旧蔵和漢書コレクションや、日本アジア協会誌などの学術誌に発表された多数の日本研究論文でも窺い知ることができます。その影響は英国、ヨーロッパに留まらず、日本においては、与謝野鉄韓を中心とした明治期の短歌革新運動にも大きな役割を果たしたとされています。この全集は、雑誌論文も含めてアストン著作の全てを復刻集成したものです。 

内容詳細
Vol.1 Collected Papers (研究論文集成)
Vol.2 A Grammar of the Japanese Spoken Language, 4th Revised Ed., 1888 (日本口語文法)
A Grammar of the Japanese Written Language, 3rd Revised Ed., 1904 (日本文語文法)
Vol.3 & 4 Nihongi: Chronicles of Japan from the Earliest Times to AD697,1st Ed.,1896(日本書紀)
Vol.5 A History of Japanese Literature, 1st Ed., 1899 (日本文学史)
Vol.6 Shinto:The Way of the Gods, 1st Ed., 1905 (神道) 

推薦文
「英国外交官の日本学 ―「日本」の実像把握のために」
大正大学教授 芳賀 徹

「なんで昼過ぎまでも大使館のなかにぐずぐずしてるんだ。街を歩き廻ってこい」。ジョージ・サンソム卿は若い書記官として東京三番町の英国大使館に勤務していたころ、よく上司にそういってたしなめられたそうだ。それで、天気さえよければ、彼はあちこちのお寺や神社にお参りに行ったろう。古本屋や骨董商や植木屋さんにはきまって立ち寄ったろう。
どこかにお祭りがあると聞けば、飛んで行ったろう。そして多種多様な人とめぐりあい、流暢な日本語で話し合った。もちろん、休暇となれば日本国内を東に西に旅して廻った。 このような長年の体験と観察に肉付けされて、日本史家サンソムのあの美しい名著『日本文化小史』や『西欧世界と日本』はやがて書きあげられた。若い大使館員のなかから卓抜な日本学者が生まれる――これはサンソムひとりに限らない。彼の直接の先輩で、このたび著作集が出るアーネスト・サトウや、ジョージ・アストンの場合でもまったく同じだった。わずかにさかのぼれば、サトウやアストンの直接の上司であった初代駐日公使ラザフォード・オールコックでさえ、『大君の都』や『日本の美術と工藝』によって英国日本学、ヨーロッパ日本学の重要なパイオニアとなった。これは駐日英国公使館・大使館の、幕末以来長年の意図的な方策だったのか、おのずからな伝統だったのか。また他国に駐剳する英国外交官の場合はどうだったのか。
いずれにしても、この外交官日本学の系譜は偉大であり、まことに興味がつきない。ことにオールコック、サトウ、アストンらは、攘夷派の徘徊するなかに身をさらし、明治維新に直接・間接に関与し、日本近代化が中国や挑戦との間に引き起こす軋轢の現場にさえ立ち会った。そうしながら彼らは、一方で、日本美術を研究し、日本人のだれも知らぬキリシタン文献を蒐集し、日韓比較言語学を試み、『日本書紀』を翻訳し、神道の研究に打ち込み、『日本文学史』まで書きあげた。なんとういう豪胆、なんという沈着、そして外交実務と異文化研究にまたがって発揮されたなんという強靭な能力!
驚くべきことではなかろうか。彼らはまるで日本近代史のもっとも劇的な時期に立ち会っていることをはっきりと自覚していたかのようだ。そして急速に変動する日本の文化のアイデンティティを、当の日本人に代わって探査していたかのようだ。
事実、彼らの日本文明研究は、同時期のバジル・ホール・チェンバレンやラフカディオ・ハーンの日本論と相まって、欧米世界の日本人像形成に多大な、持続的な影響を与えた。その海外の日本像が日本自体のその後の運命を左右したことはいうまでもなく、この外交官日本学の系譜の発展の上に、やがて日本史のサンソム、日本文学のアーサー・ウェイリーといった達人たちが登場する。そしてサンソム、ウェイリーの日本学は、戦後、アメリカに渡って、現代アメリカにおける日本研究のもっとも重大な発射台ともなるのである。彼らの日本研究がつくりあげた日本の「ヴァーチャル・リアリティ」が、実は日本人自身によるそれをこえて、「世界のなかの日本」の実像をなしてきていることを、私たちは今日この「コレクション・ジャパノロジスト」によって、あらためて学び、自覚しなければならないであろう。